Color pallet 2
クラブハウスのドアを無造作に開けたリョーマをまず初めに迎えたのは、床一面に広がっている練習用のテニスボールだった。
そして足の踏み場もない程床を覆い尽くしたその黄色に囲まれるようにベンチを頭に、床に手足を投げ出している人間が一人。
リョーマが入って来た瞬間、彼はその頭を素早くもたげたが、入室者がリョーマと認めると元のようにベンチに頭を乗せ、天井を仰ぐ。
「・・・・・」
入って来た自分に声もかけようとしない先輩・・・桃城に軽く肩をすくめるとリョーマは倒れているボール籠を立て、黙ってボールを拾い集め始めた。
「・・・すまねぇな。」
・・・ほぼボールを拾い集め終える頃、ようやく散らかした本人がぼそりと口を開き、その頭を起こし、リョーマを見る。
そんな彼の眼前にリョーマは指を3本立ててみせる。
「ホントは一週間って言いたいとこっすけど、3日でいいっすよ。」
「?何の話だ??」
「ファンタ。桃先輩のおごり。」
「!なっっ・・・」
「ただでこんな事やると思います?」
そう言って最後のボールを籠に放り込むと自分のロッカーへと向かいリョーマは身支度を整え始める。
「・・・聞かねぇのかよ?」
そんなリョーマに戸惑ったように桃城が口を開く。
「何をすか?」
「何を・・・って」
「聞いて欲しいなら聞きますけど?」
振り返ってそう口を開いた後輩はあくまでも生意気で、その可愛くない態度に深々とため息をついた桃城は再びベンチに頭を乗せて天井を仰ぐ。
「・・・そもそもお前らのせいなんだからな?」
ややあってぶすっとした口調でそう言って桃城はリョーマをじろり、と睨んだ。
「さっきお前ここで不二先輩と何かしてただろう?」
「何か・・・って・・・」
リョーマが訝しげに首を捻る。
「・・・さっきは時間なかったからキスくらいのもんですけど。」
「キスくらい・・・って、お前な」
照れるでもなくさらりとそう言ってのける後輩に返って桃城の方が動揺して目を泳がす。
「見てたんすか?」
「・・・オレじゃねぇけどな。」
「ふぅん・・・」
そんな桃城の言葉にも動じた風もなくリョーマはちらりと彼を見る。
「で、先輩達もしたんすか?」
「なっっ」
その唐突なリョーマの言葉にぎょっとしたように彼を見つめた桃城は次いでかっと赤くなる。
「お、お前、見てたのか?」
「・・・へぇ、そうなんだ。」
思い切りうろたえ、動揺する桃城をリョーマはからかうような目つきで見つめる。
「!越前、お前・・・」
そんな彼の表情に口を滑らせてしまった事を悟った桃城はいまいましそうにリョーマを睨むが、睨まれた後輩は平気なもので逆にそんな桃城ににっと笑いかける。
「やるじゃん、桃先輩。」
「・・・オレだって、その・・・そんなことするつもり、なかったけどよ。」
そんなリョーマに毒気を抜かれたのか桃城はまた深々とため息をつきまたまた天井を仰いだ・・・
さきほどの部活の間の小休止、ちょっとした忘れ物をとりにクラブハウスへ行くと、扉の前に背を向けて海堂が立っていた。
“何してんだ、お前?”
“入るんじゃねぇ”
入室しようとした自分の腕を握ると引きずるようにしてクラブハウスの脇へと連れて行った海堂に驚いて、
“何だってんだ?一体??”
ケンカ口調でそう言って海堂を見れば、いつもなら突っかかってくるはずの彼が黙ったまま俯いている。
そんないつもと違う海堂の様子に目をしばたきつつ再びその理由を問いただそうとした時、クラブハウスの扉が開いた。
“あ・・・”
そこから涼しい顔をしたリョーマが現れ、そして少しの間を置いて制服に着替えた不二が出て来たのを見て、二人の仲を知っている自分はどうして海堂がクラブハウスへの入室を阻止したかをおぼろげながらに悟る。
“・・・っ”
自分の腕を掴んでいる海堂を伺うように見ると、目が合った瞬間、掴んでいた腕を振り払うようにして離すと何も言わずに背を向けて。
“お前、さっき何見たんだ?”
・・・部活終了後、偶然を装ってクラブハウスで一緒になった海堂にそう聞いたのは単なる好奇心から。彼がどんな反応をするのか見たい、そんなイタズラ心もあって。
“・・・お前に言う必要はないだろう?”
二人きりであるにもかかわらず、いとも素っ気なく返してくる海堂。
“いいじゃんか、教えろよ。”
その予測通りの彼の態度を面白がってからかうように彼に食い下がる。
“あのふたり、キスくらいしてたか?”
“!”
何気なくそう言ったその言葉に弾かれたように自分を見た海堂。
その顔が見る見るうちに赤くなっていく。
“・・・海堂?”
“・・・・・”
頬を赤らめ俯いた海堂の姿はこれまた彼らしいと言えるものであったが、そんな彼を見つめる自分の胸の鼓動がどんどん早くなり、つまったように息が苦しくなる。
“桃城・・・?”
・・・気付くと海堂の肩に手をかけており、その気配に顔を上げた彼はそんな自分を不思議そうに見つめ、戸惑ったような声を上げる。
そんな海堂に自分はゆっくりと顔を寄せた・・・
海堂の唇に自分の唇が触れたのはほんの一瞬だった。
しかし、掠めるように触れただけの唇から軽い電流が走ったように感じ、はっとして海堂を見れば、至近距離で目を合わせた彼は当然のことながら驚きの表情をして自分を見つめている。
“・・・桃城?”
“あ・・・悪い・・・”
先ほどと同じように戸惑ったような調子で自分を呼ぶ海堂の声にようやく我に返ると、慌てて彼から手を離す。
“その・・・つい・・・弾みで”
“!”
その一言にその目をかっと見開いた海堂。
次の瞬間、激しい勢いで突き飛ばされ、部屋の片隅のベンチに背中から激突し、勢い余って床に尻餅をつく。
“・・・って!何しやがる!!”
“お前、最低だ!”
その痛みに声を荒げるが、それを遮るかのように海堂の声が激しく叩きつけられる。
“弾みで、こんな事するんじゃねぇ。”
その言葉に顔を上げれば海堂が激しい眼差しで自分を睨みつけている。
“・・・好きな奴に悪いと思わないのか?”
“え・・・?”
その言葉に目をしばたいてまじまじと海堂を見れば、彼はその視線をゆっくりと床に落とす。
“・・・最低だ・・・”
再度呟くようにそう言った海堂は自分に背を向けると、クラブハウスのドアを激しい勢いで開けて飛び出していった・・・
「・・・で?」
桃城の話が途絶えたところでリョーマが口を開いた。
「海堂先輩にキスしたの、ホントに弾みだったんすか?」
「なっっ・・・」
ストレートにそう聞いてきたリョーマに桃城は頬を赤らめ口をぱくぱくさせたが、いつになく真面目な目を向ける後輩に桃城もその顔を改める。
「確かに・・・勢いっていうか、そういうのはあったけど・・・」
深いため息をついた後、桃城はゆっくりと言葉を吐き出す。
「・・・弾みなんかじゃ、なかった・・・」
最初、あいつの事は大嫌いだった。
無愛想で何を考えているか解らない、他人に合わせることをせず、常に我が道を行くといった感じの彼は自分の軽口にも乗ってこず、たまに会話が続けばいかにも馬鹿にした口をきいて自分を苛々させて。
すかしてんじゃねえよ、面と向かってそう言って大喧嘩をした事もある。
でも、それらの態度は彼の不器用さから来るものだとわかるようになると、海堂に対する見方は少しずつ変わり始めた。
人付き合いというものがさほど苦ではない自分にとって海堂のそんな所は不思議に映りはしたが、彼を嫌いだという気持ちはいつしか消えていて。
気付けば近くで、同じ日々を重ねてきていて、そこにいるのが当たり前の人物になっていた。
相変わらず海堂は何を考えているかわからなかったし、彼に対する自分の態度も変わることはなかったけれど。
“オレ、好きな奴出来たかもしれない。”
・・・新しく入ってきた後輩に目を奪われた時、それを海堂に言ったのは何故だったのだろうか?
誰かに聞いて欲しかったのもあったのだろうが、何より海堂の反応を見たくて。
きっと彼は驚いた顔をして自分を見た後、自分の事のように顔を赤くするだろう。
そんな彼を逆にからかう事によっていささか気恥ずかしい感情を抱いた自分への照れ隠しをしようとその時は思っていた。
しかし海堂の反応は予想と違っていた。
“そうか・・・”
驚いた顔をして自分を見たものの、その反応は静かで。
“上手くいくといいな・・・”
自分に背を向けてはいたが、そう言った海堂の口調には優しさがあって。
自分だったらその相手の名前を問いただし、からかうだけからかうだろう。
けれどそんな事は一切せず、逆に自分の気持ちを気遣う海堂の繊細さと優しさが自分の胸を突いた。
そして同時に自分に向けられた背中に痛みにも近い疼きを覚える。
・・・いつからかわからない程長く胸の中にありながら気付けなかった気持ち。
嫌いじゃないとわかった後も、海堂をからかったり、ケンカを仕掛けたりしていたのは彼を意識していたから。
何処かで彼と関わっていたくて、でもその気持ちが一体どこから来るのかわかっていなかった。
あまりに近すぎて見えなかった相手が不意に大きく浮かび上がって自分の胸を苦しいくらいに圧迫して。
その重みにようやくその気持ちがなんであるかに気付いた。
彼にキスしたのも、その衝動を押さえきれなかったからだ。
気付かないうちに好きになっていた大切な存在に触れたかったから・・・
「そんな事オレに言っても仕方ないっしょ?」
ひとしきり桃城の告白を聞いたリョーマは肩をすくめて彼を見る。
「本人に言わなきゃ意味ないことじゃん。」
「まぁ、な・・・」
自分の指摘にがしがしと頭をかきながら深々とため息をついた桃城にリョーマは片眉をあげる。
「あんたらしくないね?」
「?」
「ふられんの、怖い?」
「・・・なっっ!」
その言葉に目を剥いて後輩を見ればいかにも挑発するように見下ろしてくるその瞳。
「どうなの?」
「・・・まぁな。」
てっきり自分の挑発に乗ると思っていた桃城が素直にそう頷いたのに意外そうな顔をするリョーマ。
「でも、言わなきゃなんないだろ?」
深いため息をひとつついてそう言った桃城の言葉とその口調にリョーマは目を軽く見開く。
「このままじゃ終らせられないからな。」
「・・・わかってんじゃん。」
そう言って勢いよく立ち上がった桃城はいつもの調子を取り戻していて、そんな彼にリョーマはにやりと笑う。
「ま、ふられたら慰めるくらいしてあげてもいいっすよ?」
「・・・可愛くない奴だな、お前って。」
相変わらず生意気な口をきく後輩に眉をしかめた桃城はふっとその顔を改める。
「お前もその・・・悩んだりとかしたか?」
「・・・今も悩んでるっすよ。」
「・・・え?」
「その人を好きになって、それで終わりじゃないっしょ?レンアイって奴は?」
まだ、足りない。もっともっと近づきたい・・・あの人に。
あの人に追いついて、追い越して、あの人を包めるくらいに大きく強くなりたい・・・
「あの人にして見ればオレなんてまだまだ・・・なんでしょうからね。」
先ほどの大人びた口調とはうって変わって少しばかり拗ねたようにそう言うリョーマに軽く目を見開いた桃城。
負けず嫌いのこの後輩が不二の前では素直に自分自身を認めつつ、それでもその小さい背中を精一杯伸ばして、前に行こうとしている。
“ホント生意気だよな・・・”
そのいかにも彼らしい態度が心地よくて、ほんの一時期胸を占めていた淡い思いがふとよぎり、桃城はちょっと笑う。
「・・・っ!」
不意に桃城にがしがしと頭を撫ぜられ、リョーマは不機嫌そうな顔で彼を睨む。
「いきなり何すか?」
「やっぱ、お前可愛いわ。」
先ほどから言われたい放題に言われている手前、皮肉のひとつも言ってやらないといけないな、そう思いつつそう口にすれば、後輩は予想通り憮然とした様子で自分を睨む。
「言う相手、違いません?」
「へぇへぇ・・・っと。」
そんな後輩をおどけた目で見て肩をすくめると、桃城は気合を入れるかのように両手で自分の頬を軽く叩く。
「それじゃ、いっちょ殴られてくるか!」
そう言ってクラブハウスの扉を勢いよく開ける。
「・・・さんきゅ、な。」
扉が閉まる寸前、聞こえてきた桃城の声にリョーマは軽く目を見開く。
「ま、がんばって。」
その扉が閉まった後、リョーマはそう呟くと、軽く息を吐き出して思い切り伸びをし、ちょっと笑った・・